ごあいさつ
はじめまして。広島と呉の心理カウンセリングオフィスFLIFE経営者の奥本浩司と申します。生まれも育ちも広島県広島市の地元大好き人間です。
私はカウンセリングオフィスを経営しているにも関わらず、公認心理師・臨床心理士の資格は所持しておりません。そんな私がなぜカウンセリングオフィスを経営する事になったのか。それについてご説明させて頂きます。
1.心理学との出会い
~工業高校から心理学部へ~
私と心理学との出会いは高校3年生の時です。当時私は地元の高校「広島県立広島工業高等学校電気科」に在籍していました。進路を定める時期でしたが、「心理学」という選択肢は考えてもいませんでした。工業高校という事もあり、周囲の友達も工業系の大学や就職に向けて動き始めていました。学校の教師や両親の思いとしても、工業系の道に進む事に天秤は傾いていたでしょう。私も特に他にやりたい事は無かったので、おぼろげながら工業系の大学への進学を考えていました。そんな時に、TOEICに挑戦しようと友達に誘われた事で、放課後になると英語教師の詰所に通って自主勉強をするようになりました。そこで、スクールカウンセラーを兼任している英語教師と仲良くなり、心理学についての話を聴くようになりました。それによって心理学に興味が沸き、工業系大学に向いていた進路を急転回させて心理学部のある大学へと進学する事となりました。
2.心理学との別れ
~心理学部から一般企業へ~
高校を卒業して「広島国際大学臨床心理学科」に進学しました。そこでは多くの学生が臨床心理士になるべく、研鑽を積んでおりました。私も例に漏れず、その中の一人でした。しかし、徐々に、心理士をとりまく働き方の状況を知っていくにつれて、進路に迷いが生じ始めました。大学院に進学して心理士になる道に進むか。一般企業に就職して将来の安定を求めるか。葛藤の末、最終的には経済状況の見通しを立てやすい一般企業への就職を選択する事にしました。そして、心理学に別れを告げました。
3.海外で受けた衝撃
~植え付けられたトラウマ体験~
大学を卒業して一般企業に就職しましたが、東日本大震災で沢山の方が亡くなった事により、大きな衝撃を受けました。その経験を機にカナダへの留学をする事となりました。カナダで触れる初めての文化、現地の人や様々な国籍の人との出会いと別れなど、とても充実した生活でしたが、一つだけどうしても忘れられないトラウマ体験をしてしまいました。カナダ留学をしてから1週間経った土曜日の事。人気の無い地下鉄の駅で事件は起こりました。私がトイレを利用しようとトイレに入ると、体格の良い40代程の男性が新聞を読んでいました。その時は特に気にせずに用を足していたのですが、その際に先程の男性が近づいて来ました。そして、私が直ぐに動けない状況である事を良い事に、彼から痴漢行為をされました。その内容たるや、ここに記載する事も憚られる様な内容のものでした。その時の私の頭の中は恐怖と混乱で支配されました。自分が痴漢を受けるなんて想像した事すらありませんでしたし、ましてや相手が自分よりも巨漢。まだカナダの右も左も分からない時期で、英語もロクに話すことが出来ない。そんな中でなされるがままでしたが、行為がエスカレートする中で逃げなきゃ本気で危ないと思い至り、逃げる事に成功しました。その際の恐怖はトラウマとなって、私を蝕みました。カナダ生活の中で地下鉄のトイレを利用するのが怖くなり、一人の時は絶対に使わない様になりました。また、地下鉄に限らず公共のトイレに入る際は、トイレで新聞を読んでる人が居ないか警戒する様になりました。そして、痴漢体験時の記憶や感情がよみがえりました。いわゆるフラッシュバックです。未だに、ふとした切っ掛けで思い出す事はありますが、カナダでのある出会いや日本への帰国を機に気持ちが楽になりました。
4.カナダでの出会い
~心理学が結んだ縁~
カナダでのトラウマ体験は、今思えば心理学に再び携わりたいという切っ掛けとなった出来事ですが、当時の私はそれを心理学的にどうだとか考える余裕はありませんでした。
しかし、カナダ生活の中で、再び心理学に目を向ける事となる出会いがありました。
ある日、外国籍の心理カウンセラーが学友となりました。彼女は母国では心理カウンセラーでした。お互いに心理学という共通の話題があった事により、すぐに仲良くなる事ができました。また、トラウマ体験を彼女に相談するようにもなりました。背景にある言葉も文化も違いましたが、相談に乗ってもらう事で、気持ちが楽になりました。
また、彼女の心理カウンセラーとしての思いにも感銘を受けました。彼女の母国は当時、情勢が不安定でした。その為、移住を視野に入れて留学を決意したとの事です。出来れば、心理カウンセラーの仕事を続けたいが、母国とは文化も資格制度も違うため、どうするか真剣に悩んでいました。そんな友人の姿を見て、大学卒業時に進路で悩んでいた私とも重なりました。もちろん、当時の私とは比べるべくもない葛藤でしょうが。
そういった出会いによって、私の中で心理学への熱が再燃し始める事となりました。
5.再び心理学の世界へ
~京都へ~
帰国して、ようやく自分の体験したトラウマを心理学的な視点で考える事が出来る様になりました。それもあって、カナダで再燃していた心理学への熱は燻り続けていました。しかし、今さら大学院へ進学するというのは現実的ではなく、一般企業に就職する事にしました。すると、かつては気にならなかった職場内の心理的な問題というものが目に付く用になりました。また、職場やプライベートで心理的な問題を抱えて苦しむ人が続出する時期も重なりました。それもあって、気休めの言葉しか掛けられない自分の無力さを痛感していました。「あの時、大学院へ進学していれば」といった後悔の念も湧いてきました。
そんな時です、友人から声を掛けられました。
「経営者として心理支援に関わって、心理支援に携わる道もある事」
「心理士にとっても働きやすい職場を作って欲しい事」
彼は、大学時代の友人で、心理支援職として働いており、カウンセリングルーム経営の実績もありました。
私は悩んだ末、京都に発ち、彼の元でカウンセリング運営のノウハウを学びながら、京都で心理カウンセリングオフィスFLIFEを設立しました。
そして今回、広島・呉でも京都と同様のサービスを始める事にしました。
6.そして広島・呉へ
~広島・呉でカウンセリング経営をする理由~
私は先にも申し上げた通り、広島生まれの広島育ちです。好きな野球チームも一貫して「広島東洋カープ」ですし、サッカーチームなら「サンフレッチェ広島」という地元大好き人間です。なので、京都に行った時から広島に戻ってくることは視野に入れていました。また、自身のトラウマ体験を経て、トラウマに限らず
場所に居る事の辛さを体験しました。辛さというのはトラウマに限らず、色々な原因があるものです。